3.11 あの日あの時、海にいた自分

忘れもしない2011年3月11日
「東日本大震災」

恐らく、自分の人生の中で最も記憶に残る一日だろう。
あの日、覚えていることは穏やかな日だった。
そして、お昼過ぎに海に行き、いつものようにサーフィンをした。

貸切りの海、上がる頃になって海に入っても少し感じるほどの揺れ。
遠くの工業地帯の煙突から尋常ではない煙と炎。
直感的に何かあったなとすぐに海から上がると、いつも話すおじさんが「地震だよ」と言いに来た。

すぐに妻の携帯に電話すると「早く帰ってきて!」との叫び。
車で家に帰る途中、何度もあった大きな揺れ。
今まで体験したことがない恐怖と不安。

家に戻ると瓦が散乱しており、家の中は揺れで崩れた物でグチャグチャ。
津波警報が発令され、娘も学校に待機しているというので、貴重品だけまとめて娘の学校へ。

学校に着くと屋上に避難してくださいと言われ、みんなで屋上へ。
しばらくして落ち着いた後、校舎に戻る。
階段、廊下、教室と避難した人で溢れていた。

携帯も公衆電話も繋がらず、Twitterだけが今の状況を伝える。
そして、テレビから流れる東北の津波の光景は今自分のいる世界で本当に起きていることとは思えなかった。

夜になると家に戻る人が増えたけど、自分の家族は教室で一夜を明かすことにした。
まだ冷える3月の夜。
借りた毛布にくるまり、何度も大きな揺れを感じながら意外にも寝れた。

翌朝、まだ余震が残る中、学校にいても仕方ないので、家に戻る。
散乱した物を片付け、次になにをするべきか考えた。

ガスはプロパンなので、問題ない。
電気もすぐに復旧した。
でも、断水で水が出ない。

水は近くの公民館でもらえるということで、毎日汲みに行った。
水が出ないとトイレもお風呂も使えない。
洗濯機も使えない。

汲みに行った水を大事に使いながら、一日を過ごす。

テレビでは震災のこと。
そして、福島の原発のこと。

見えない放射能の恐怖。
テレビもネットもここぞとばかりに不安を掻き立てる。

断水は1ヶ月以上続き、お風呂はお湯を沸かして身体を拭くだけとか、
週に何回か外のお風呂に行った。

今までの人生に急ブレーキをかけて

多くの人が生死について深く考えた日。

こんなにも「本当の幸せとは何?」と強引に問われたことはない。

いくら文明を発展させた人類でも、大自然の偉大さには太刀打ち出来ないと思い知らされ、日本の安全神話が一瞬で崩れた。

アメリカ人にとっての911とは意味が違うが、日本人にとっての311は絶対に絶対に忘れられない日になる。

今は海に入るよりも行きていることに感謝したい。

人生って飯食って風呂入って暖かい布団で寝る。

それだけで十分。

それ以上求めるのは贅沢なんだな。

Blue.に投稿した文章

海からは当然の如く離れ、サーフィンしたのは1ヶ月以上後。
近くの海に入ったのは更に先で、漁船が座礁して撤去には凄い時間がかかった。

震災後、初めて海に入った時のブログを振り返ると…。

放射能のことや、近くの海が被災地ということで
1ヶ月以上海から遠ざかっていました。ちょくちょく海は見に行っていたけど、
サーフィンするまでには至らず...。

でも、1時間程移動すれば結構サーファーが入っているようなので、今日は思い切って行動しました。
サーファーが入っていると言っても、あくまで自己責任のレベル。すぐに症状に現れるわけでも無く、もしも5年後にガンになっても放射能との因果関係は証明出来ないでしょう。今は海に入るのを危険と思って「我慢」していたけど、今まで海に入ることを生き甲斐にしていたのだから、「我慢」をするのは逆に身体に悪いということも...。

1時間かけて海に着き、オフショアの胸肩の波を目の前にすると
もう、「我慢」という言葉は吹っ飛んでいた。小1時間満喫し、海から上がった時の爽快感。

やっぱり、サーフィンは気持ち良い。
海はパワーを与えてくれた。

海から上がって海沿いを通って帰ると、
砂浜にテトラポッドが転がっている異様な光景が...。

いつも入っていた海沿いの駐車場も結構被害があって、
「飯岡」の海沿いの建物は軒並み被害を受けていた。

すでに更地になっている場所も多く、車で通っただけでも、
怖くて鳥肌がたつほど...。

自宅や、周辺も被害はあったけど、
今日見た場所に比べれば大したことはないんだなと思った。

千葉北で1ヶ月以上振りに海に入った感想
http://ameblo.jp/digsurf/archive47-201104.html#main

2011年3月11日14時46分。

死者15,893人
行方不明者2,554人。

あれから6年経ってもあの時の記憶はそんなに薄れていない。
福島の原発の閉鎖はまだ先が見えないし、避難している人はまだ沢山いる。
何より悲しいと思うのは、6年経ってもまだ見つかっていない遺体が沢山あり、それを家族や親戚がまだ探しているということ。

あの日を境に日本は変わり、多くの人の人生も変わってしまった…。

2017年3月11日14時46分。

海に向かって祈りました。

東北大学の災害科学国際研究所によって公開された

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